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この春、宮崎県小林市に2週間滞在し、プチ移住生活を体験したcazual取材チーム。その滞在中に出会った素敵な人や体験したアクティビティ、実際に住んでみてわかった小林市の暮らし心地をレポートするシリーズ企画を展開中だ。
小林市をさまざまな角度から掘り下げるシリーズ記事の第6回に登場するのは、2017年に大阪から移住したシェフの地井 潤さん(50歳)。
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公邸料理人として海外でも活躍してきた地井さんは、小林市にフレンチレストラン「Kokoya de kobayashi(ここや・ど・こばやし)」をオープンさせた。地井さんが作るのはクラシックなフレンチではなく、和に寄り添ったフレンチ。
農作物、畜産物が豊かな小林市の素材に魅せられことが、移住を決意した理由のひとつでもある。そんな地井さんのルーツをたどりながら、「ここや・ど・こばやし」オープンまでの話をうかがった。
「和食をワインに合わせる工夫」
cazual編集部(以下、c) 地井さんは、何歳から料理人をやっていますか?
地井さん(以下、地) 大阪の辻学園を出た後なので、19歳ぐらいになりますかね。どちらかというと、洋食、フレンチを主にやってきました。
c 「どちらかというと」という含みを持たせましたが、それはなぜですか?
地 完全なクラッシックのフレンチや、最新のモダンなフレンチとはちょっと違いますね。私のルーツは、実家が食堂をしていたのもありますし、若いころ働いていた職場も和食の料理人さんがいて、一緒に和食の仕事をすることがありました。だからフレンチベースに和を取り入れたり、逆に和のものにフレンチを取り入れたりっていうのが私の料理の傾向かなと思います。
c 小林市に来る前はどちらで腕をふるっていたんですか?
地 仕事は大阪が中心ですが、10年近くはヨーロッパで日本大使館の大使付き公邸料理人のお仕事をしていました。フランス、オーストリア、スイスの3カ国をまわらせていただきました。
c 公邸料理人をやっていたときも和を取り入れた料理ですか?
地 そうですね。最初にフランスに行きましたのが、もう25年ぐらい前で、まだ和食ブームが来る前でした。それでもちょっとずつ日本料理に脚光が集まりはじめていたころですね。
特に狂牛病や口蹄疫が世界的に流行ったこともあって、お肉料理から魚料理に転換するという傾向があったんです。それまでお寿司や刺身といった生の魚がダメだった方が、ちょっとずつ召しあがられるようになってきた時期でした。
それに海外の要人を公邸にお招きするときは、せっかく日本大使館公邸に来ていただくので、やはりお寿司っぽいものも出します。逆にガチガチのフレンチだと、まわりには星付きのレストランもあります。なので、和をフレンチに近づけたお料理をお出ししていました。そこが起点になりますね。
c そういうアイデアはいつ頃から?
地 特に強くなりましたのが、オーストリアから帰ってきてからです。もともとワインに興味があったんですけど、フランス、オーストリアにいるときにけっこうハマってしまいました。それで帰国してから本格的にワインの勉強をして、ソムリエの資格を取ったんです。
日本人はやっぱり和食が中心になりますので、和食をワインに合わせる工夫を意識するようになったのがきっかけですかね。実際にソムリエの資格をとったのは30歳ぐらいだったと思いますから、もう20年くらい前です。
c 和食にワインを合わせる試みは早いほうでした?
地 当時、徐々にそういったのは出てきてました。ただ、どちらかというとソムリエの方がベースで、料理人ベースっていう形ではなかったですね。
それまでは料理が決まってて、料理にワインをフューチャーするのがソムリエのお仕事でした。でも料理人がソムリエもできると、たとえば料理にワインを単純に合わせるのではなく、ワインに合わせるためにその料理を工夫することができるんです。
それまでは、基本的にテーブルによって同じメニューなのに味が違うなんてことはなかった。でもソムリエができる料理人であれば、こういうワインを開けたいっていうリクエストがあれば、料理の味付けをそのワインに合うように工夫するというスタイルもあり得ます。両方の観点から考えられるようになりましたね。
とにかく食材が素晴らしいと感じ、自分の店を持つなら大阪より小林市
地井さんは、大阪では1店舗で1日約300人も入るレストランなど4店舗の総料理長を務めていた。大阪で使っていた素材より、クオリティーが高い農作物も畜産物も手に入りやすい小林市へ移住、「Kokoya de koayashi(ここや・ど・こばやし)」開業となった。
そして、地井さんが小林市で店を開くことを決めると、大阪時代のスタッフも地井さんを慕って新しい店で働こうと移住してきた。
c 小林市に移住してくるきっかけはなんだったんですか?
地 私の母親が昔、小林に住んでいたことがあって、親戚が宮崎にたくさんいるんです。母親が帰りたがりますから、私の休みがまとまったときに、宮崎に連れて帰ったりしていました。そのとき小林市に泊まることが多かったんです。
ここは農作物も、畜産物もおいしい。大阪で食べていた素材の味より、鮮度も含めてクオリティーがはるかに高いというのは、来るたびにずっと感じていました。とにかく食材が素晴らしかったのと、母親のこともあって、機会があれば小林に移住したいなっていうのがあったんです。
c 小林市の食材のポテンシャルに気づき、惹かれていったと。いつごろから移住を考えるようになったんですか?
地 強く思い始めたのは、この10年ぐらいです。私自身はもともと大阪出身で、仕事も大阪が中心でした。ここに来る前は1店舗で1日300人くらい入るお店とか、12席しかない小さなとこだけど1日100人以上入るようなお店とか、4店舗の総料理長をさせていただいてたんです。おかげさまでテレビでも取り上げられたり。
でも小林市を訪れるようになって、自分でお店を開くなら大阪よりこっちかなって思うようになったんです。
c 食材の豊かさと質に魅せられたんですね。
地 よく言うのは、1+1が2というのは当たり前で、1+1が3であったり、4にしたりするのが、我々の仕事だと。たとえば、普通の食材が1だとすると、いい食材は2。そこにいいワイン2が加わったら、2+2が4じゃなくて、2+2を8にすることだってできるわけです。
”食と農の魅力創生シェフ” 食によるまちおこしのキーパーソン
そんな小林市の食に魅せられ移住を検討し始めた地井さん。実は、同時期に小林市側にも動きがあった。
市は地元産食材にポテンシャルを感じていたものの、どのように価値を高めて、市の内外にアピールしていけばいいのかわからず、長年、課題に感じていた。そこで、2017年に”食と農の魅力創生シェフ”を公募していたのだ。
これは、市が開店資金などを援助してシェフのパトロンとなる代わりに、子どもたちへの食育だったり、レストランや農家といった食関係者へのアドバイスだったり、食を軸にしたまちおこしに協力してもらうプロジェクトだ。地井さんは、そのプロジェクトに応募し、市から委託を受けた。消費者、生産者、調理者の3者が連携する「食と農の魅力創生ラボ」の拠点として活動が期待されている。
地 ここ数年、母親の歳が歳なのでお医者さんにかかったりするんですけど、私がこういう仕事ですから週1回しか休みがないので連れて行くこともできない。大阪にオバがいて、そのオバが身の回りの世話をしてくれていたんです。こちらには親戚がいっぱいいますし、オバもいつかは小林市に来たいと言ってました。
そんなとき、私がたまたまこの機会をいただいたので、もう思い切って移り住もうということにしたんです。
c お店をオープンさせようと思ったのは、いつころですか?
地 2年前ぐらいから、できれば移住したいなと考えていました。でもレストランの開業となりますと、お客さんに入っていただかないといけないので、最初はにぎわっている宮崎市内にお店を構えて、住むのはちょっと遠いけど小林市というのを考えてました。
c そうしたら小林市がシェフを募集していた?
地 そうです。小林市がシェフを募集するという話が2017年6月にあって応募しました。そのあと選考もありましたので、決まったのが9月の少し前くらいですね。それで、完全に引っ越したのが11月の中ごろです。
c 店の場所選びはどうされました?
地 アクセスも含めて、ロケーションなどのイメージを私から市にお伝えして、20軒以上の物件を見ました。更地も含めて、あらゆる可能性を見て、なかなかいい候補物件が見つからないなか、ここがたまたま貸家となっていた。本当にタイミングがよかったんです。
c 店舗デザインのコンセプトは?
地 お料理のコンセプトにちょっと通じるところがあります。完全なフレンチをお出しするなら、店舗は完全な洋風の建物がいいですよね。ただ私はフレンチに和を取り入れて、器も洋も和も使います。なので、店舗もちょっと和っぽくしようかなと。バリバリの和じゃなくて、ちょっとモダンな和の感じでデザイナーさんにお願いしました。
レストラン名「Kokoya de kobayashi(ここや・ど・こばやし」に込められた家族のルーツ
小林市でフレンチレストランをオープンさせることとなった地井さん。これまで大阪で忙しい日々を送ってきたが、小林市に来て、やっと少しは家族の時間を持てるようになった。
もともと親戚も小林市周辺にいたので、お店で提供する食材の生産者を多く紹介してもらった。新しくオープンするレストランの名前にもひっそりと家族のストーリーが流れている。レストラン開業まで準備万端に整った。
c お店の名前は、どうやって決めたんですか?
地 実家の食堂が「ここや食堂」という屋号だったんです。大阪弁で「どこなん?」て聞いたら「ここや、ここや」って答える。父親と母親が一緒に考えてつけた屋号らしくて、このお店も「ここや」にしようと思ったんです。ただ、そのまま使うと洋食っぽくないよなっていうのがありました。
それと屋号のなかに小林っていうのも入れたかった。ワインとフレンチを楽しめる小林のお店「ここや」って感じで。
じゃあ、大阪弁の「ここや」は西諸弁でなんて言うのかなって親戚に聞くと「ここやど」とか「ここやっど」って言うんですって。フランス語で「de(ド)」という冠詞で、「〜の」とか「〜と」という意味になります。いろいろな意味が掛けあわせられるので、「Kokoya de kobayashi(ここや・ど・こばやし)」にしようかと。親戚にも、発音も「ここやっどこばやし」でいいんじゃないかって言われて。
c 地井さんはワインにハマってソムリエの資格まで取ってますが、小林市は焼酎文化圏です。焼酎に合うフレンチというのもありますか?
地 はい、もちろん焼酎にも合わせられます。ソースに焼酎を使うのは単純ですけど、同じ食材で合わせられます。芋焼酎の原料はさつまいもですから、さつまいもスープの仕上げにちょっとだけ焼酎を垂らして、それを焼酎と一緒に召し上がっていただいたり。
デザートにも全然使える。焼酎を温めて火を近づけると火がつきますから、スイートポテトみたいなおいもさんを使ったデザートに焼酎をかけて火をつけて、香りを移したりとか。いろいろとできますよ。
すでに決まっている料理にワインをフューチャーするという従来のやり方がある一方、ソムリエの資格を持ち料理人でもある地井さんは、ワインに合わせるために料理をどう工夫するかという視点も持ち合わせている。
そしてワインだけでなく、焼酎にもその趣向は広がる。そこに小林の魅力的な食材が加わったなら、どんな未来が「Kokoya de kobayashi(ここや・ど・こばやし)」に待っているのだろう。行列の絶えない店と注目される日も、そんなに遠くないのではないだろうか。
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■プロフィール
地井 潤(ちい じゅん)さん
1967年、大阪府生まれ。公邸料理人として3人の大使に支え、フランス、オーストリア、スイスに赴任経験を持つ。優秀公邸料理長として表彰を受けたことも。両親ともに料理人であり、その屋号「ここや」を受け継ぎ、2018年5月、「Kokoya de kobayashi(ここや・ど・こばやし)」を小林市で開業。日本ソムリエ協会認定のソムリエ資格も有する。
施設インフォメーション
■「Kokoya de kobayashi(ここや・ど・こばやし)」
住所 宮崎県小林市駅南267番地
TEL 0984-23-1800
営業時間 ランチ/11:30〜15:00(L.O.14:00)、ディナー/18:00〜22:00(L.O.21:00)※予約制
定休日 火曜日
photo:ULALA
text:アマキン
【PROFILE/アマキン】
本業はクリエイター。アウトドアアクティビティ、DIY、クッキングを得意とすると豪語しながら、すべてはプロフェッショナルには遠く及ばない「素人にしては、まあ上手だな」程度のレベル。
構成:所 隼登
(本記事は宮崎県小林市と協働製作したスポンサードコンテンツです)