サーフィン好きのライフスタイルをサポートする不動産業者
関東のサーファーの聖地のひとつが、千葉県の外房エリアだ。なかでも人気の高い長生郡一宮町にサーファーを対象に事業を行うユニークな不動産業者がある。その名も波乗不動産。
代表取締役を務める佐々木 真さんはメディアに登場したり、森田健作・千葉県知事とラジオ番組で対談をしたりしている人物である。今回は佐々木さんに地域、サーフィン、事業のかかわりについて取材をした。
Profile 佐々木 真さん
埼玉生まれの東京育ち。19歳で都心のディベロッパーに就職。在職中、会社の先輩からサーフィンの面白さを教わったのをきっかけに、サーフィンにのめり込む。22歳で退社し、都心と千葉を行き来するほか、各地のサーフタウンを巡る。2007年、千葉県一宮町に波乗不動産を運営するバンブリックを創業し、2012年に波乗不動産をスタートする。現在、波乗不動産では、賃貸から売買、設計・施工、さらにはバケーションレンタルまで、“海や自然の中での住まい”をサポートしている。
波乗不動産ホームページ http://www.naminori-jpn.com/
−波乗不動産というだけあって、ご自身もサーファーなんですね。サーフ歴は長いんですか?
「高校生くらいのころに少し取り組みましたが、そのときはあまりハマらず、むしろスケボーやサッカーに夢中でした。その後、19歳で就職した会社にサーファーの先輩がいて、面白さを教えてもらいました。20歳くらいのころだったと思います。大人になって都会で働いていて疲れる毎日でしたから、休日の海がとても心地よかったですね。サーフィンがとても楽しいと思えました。なにしろ、当時の仕事は営業で、お酒の場も多くてストレスで胃潰瘍になってしまいましたから」
−最初から九十九里界隈でサーフィンを?
「当時は湘南です。自分がステップアップしていくと、いろいろなことが見えてきました。湘南だと波の当たりはずれもあり、21歳のころに千葉のこのエリアへ来るようになったのです」
−最初の会社を退職後の経歴が個性的ですね。
「19歳で就職したころから、起業意欲があり、漠然と何かできないかと考えていました。当時は不動産業界が活況でマンションも売れていた時代だったので、無計画に仕事をやめてしまったんです。1年間ほど月2万円くらいのドミトリーを借りて過ごし、千葉と都心を行き来したり、サーフタウンを巡るサーフトリップを楽しんだりしました。サラリーマン時代の貯金で生活していましたが、ときには地元のラーメン屋で皿洗いなどもしながらの生活です」
−そこから不動産業の知識が生かされたわけですね。
「在職中に宅建を取得していました。当時はこの地域(長生郡一宮町)は坪単価が3万円から4万円くらい。あまりのコストパフォーマンスの良さに驚いてしまいました。そうこうしているうちに知り合いも増えてきて、地元の不動産業者の社長さんが声をかけてくれて、その会社で1年半ほどフルフレックスの形で働きました。そして、27歳でバンブリックを起業することになったんです」
サーファーが欲しい機能を盛り込んだ物件「波乗長屋」を実現
−創業当初の様子を教えてください
「起業前に25歳で知人と一緒に、一宮町に400坪の土地を買いました。そこに約1年半の構想でサーファーのための波乗長屋という物件を計画し、2006年に実現しました」
波乗長屋は、現在、波乗不動産の建物の敷地内にあり、約7万円~8万円の家賃で借りられるサーファー向けの物件だ。BBQのできる屋上、屋外シャワー、コンクリート舗装の地面、屋内にボードを立てて保管できるエントランスなど、サーファーに必要なニーズを満たした画期的な物件となっている。
「当時、このエリアはサーフタウンでしたが、不動産のハード面が追いついていませんでした。たとえば、物件は安くてたくさんあるのですが、サーフボードを置くスペースがなかったり、騒いでほしくないからとBBQ禁止だったり。サーファーのライフスタイルと合わない物件が多かったんです。飲食店も現在の半分くらいしかありませんでした。そこで私は、波乗長屋でサーファー用の物件に足りないものを足していったのです」
−波乗長屋オープンの反響はいかがでしたか?
「内覧会をしてみたところ、ユーザーは面白い人ばかり。いまでいうインフルエンサーですよね。今から10年以上前ですから、SNSは普及していなかったけれど、人が人を呼び込んでくれたような印象です。建築中に全室入居が決まり、キャンセル待ちが10件出るほどの人気ぶりでした。『一宮にサーファー向けの面白い物件が建つらしい』と、口コミで物件を知った方も多かったようです」
−当時の入居者は本気のサーファーばかりですか?
「長屋に入った方はビジターで趣味程度にサーフィンを楽しむ人が多かったですね。私はサーフィンだけでなく、ゴルフや釣りなど多趣味な人が使ってくれるものにしたいと思っていました。地元の人もどんな入居者が集まるのか、気にしていたようです。サーファーというとチャラチャラしているというようなイメージを持っている地元の方もいたのですが、いちばん初めに借りてくださった方は成熟した大人の方で、地元の人が心配するようなイメージと違っていた点もよかったと思います」
その後、投資家から海沿いのバケーション物件を建てる依頼があり、3軒、4軒と続けて建てていったという佐々木さん。そうした経緯もあり、さまざまなプロジェクトの依頼が届くようになったという。仕事のポリシーとして、普通にないものを作ろうということを意識したそうだ。
【後編へ続く】
取材・文/川田剛史