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熱帯の島で幸せに暮らす!五島列島移住のポイントをご紹介

移住後の仕事についてまとめたvol.2はこちらから

福岡でサラリーマンをしていた隈本耕一郎さん。2015年5月に長崎県五島市の福江島に移住してきてアウトドアガイドとタコスの移動販売をしています。3回目となる今回は、福江島での日々の暮らしぶりや、地域の方達との交流について聞きしました。


僕の暮らしは“腰掛けIターン”

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福岡から五島列島の福江島にやってきて、ふだんはアウトドアガイドやタコスの移動販売、ときどき農家の手伝いをして、冬になると福岡の久留米へ酒造りに行く生活サイクル。このように、隈本さんには縁のある地域が複数ある。

「僕の場合は、ガッツリIターンというより、言い方は悪いですけど“腰掛けIターン”という感じ。夏場は海で仕事して、冬場は酒蔵に行ってという働き方。こういうのもひとつの生き方としていいのかなと思います」

隈本さんのように、移住するからといって、移住先の土地だけに留まらなくてもいいのかもしれない。複数の地域に拠点を持って、自由に動きながら暮らすのも面白そうだ。

福岡に比べて大きささはないけど、福江島にはモノがない楽しさがある

以前、暮らしていた福岡市は日本のなかでも指折りの大都会。島に移住して来て、街のよかったところ、悪かったところを感じることはあるのだろうか。

「大きい差はありません。正直、福江島じゃないといけないこともない。福岡にも自然はあるし、便利。でも唯一、福江島のほうがモノがないので、モノがない楽しさがあります。すべてが貨幣でのやり取りではないです。福岡という街は東京ほどではないけど、そこそこ人も多いから、たとえ人間関係でぎくしゃくしても次にいける。でも、ここはそういうわけにはいかない。『この人、もういいよ』って思っても、その相手にはグループがあって、必ずどこかでかかわっていかなければいけないんです。そこは面倒くさい反面、つながりがあれば、食べ物のようにもらいものもある」

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生活リズムは激変 太陽と共に暮らす日々

アウトドアガイドに移動販売。福岡のサラリーマン生活とはまったく異なる仕事だ。1日の時間の使い方も大きく変化した。

「すごく朝が早くなりましたね。いつも夜10時に寝ています。いつ年寄りになっても大丈夫(笑)。朝ごはんは奥さんの実家で朝7時から食べるんです。奥さんは寝ていても僕だけ行く。福岡にいたとき、朝ごはんは食べなかったし、限りなく働いていた。それと比べたらゆっくりしていますね」

仕事仕事で働きづめだった以前の生活からは激変。いまは日が昇って日が沈むサイクルで生活している。

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福江島にある大瀬崎灯台と夕日

変化は体調面にも表れているという。

「風邪をひかなくなりました。ガイドもタコスカーも体が資本の自営業なので、“動けないと稼げない”という緊張感があるからかもしれませんけど、食事のおかげかなと思います。お米と野菜は奥さんの実家で作られたものを食べているし、新鮮な魚をおすそ分けでいただくことも多いですからね」

地域になじむうえで配慮したこと 正義の押しつけはNG

陽気で豪快な人柄の隈本さんだが、地域に入って行くときは、どんなことに配慮したのだろうか。コミュニケーション能力がかなり大事に見えるが、実際に移住を経験した当人だからこそわかるポイントを話してくれた。

「その人の持っている正義を押しつけてはダメ。そういう正義を持っていることは大事だとは思いますが、『いや東京じゃ、こうだよ』と言うと嫌われますよね。僕だって嫌いですもん。いいじゃん、ここは五島なんだからって思う」

むしろ「こんなところダメだよね」って楽しむくらいのほうがいい。東京スタイルではなく、後藤スタイルを楽しむのだ。

「例えば、インド行ってトイレが汚くて、うわって思うけど、仕方ないことじゃないですか。そういう捉え方をすれば、都会に比べれば不便なところもあるかもしれないが、日本語は通じるし、通貨は同じものが使えるし、そのうえで人の気持ちよさというのもあるから、そこを楽しむ姿勢が大事だと思います」

43歳、最年少の新人青年部員になる

街の活動にもかかわるようになった。人が少ないということで、玉之浦という地元の商工会に入った隈本さん。青年部にも入ったものの、43歳で最年少だったとか。それだけ若い人が外に出てしまっているということだ。どんなふうに振るまうのがうまくなじむコツなのだろうか。

「新人最年少ですけど、村の祭りの話し合いなどに呼ばれます。でも最初はずっと黙っておく。やっぱりその地区の流れがありますから。それに、その場を口説けても、地区のキーパーソンが第二、第三といるわけです。なんだったら、第三の人がアツい場合もある。そういうところを見誤ると取り返しがつかないこともある。そういう鍵になる人を見極めることが大事だと思います。そういったポイントを把握してから、言いたいことをスポンと言う。そこで『面白いね』と言われれば、あとは突き進んでいけばいいだけ」

田舎に限らず、どこの街にも地域のキーパーソンや世代ごとのキーパーソンがいるものだ。移ってきて日が浅い移住者は、どういう人がいるのか把握するのが先決だという。そういった存在をおさえる独自の作戦を隈本さんは持っている。

「“公園の鳩作戦”と僕が呼んでいる作戦です(笑)。公園の鳩って近寄ってくるけど、絶対に一定の距離感は埋めないじゃないですか。いつもベンチの横に来るのに、絶対に手からはエサをもらおうとしない。それにならいました。『くまさん来てるじゃないか』とわかりやすいように僕はいつもオレンジ色の服を着ていて、向こうから声をかけやすいようにしているんです。おかげさまでそういうイメージが広がっています」

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地元にしがらみのない利点を生かしたい

これは地域との関係を築くきっかけと同時に、自身のポジションづくりにも役立っている。

「そういうことをすることで、逆に『あの人はああいう人だもんね』とも思われたいというのもあります。『地域の中にはガッツリ入りもせんし、冬になったら酒蔵に行くんでしょ。夏はカヌー乗って、タコス売りよっちゃろ』と。そういうキャラクターみたいなポジションを作っておかないと、どこかに引き込まれちゃうような気がして。移住してきた僕は、いま住んでいる土地にしがらみはありません。フリーで島内のいろいろな町に行けるのに、もし、ある特定の土地の人になってしまったら、ほかの町が面白そうなときに気軽に行けなくなってしまう。地元じゃないぶん、フリーにどこでも行けるようにしているんです」

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“飲みニュケーション”で縮まる距離もある

地方によって千差万別だが、地元の方々との距離を縮めるうえで“飲みニュケーション”はやっぱり大事という声は取材をしていると耳にする機会がしばしばある。お酒好きで酒造りにもかかわっている隈本さんの場合は、どうだろうか。

「五島はお酒を酌み交わし、年功序列を重んじる文化があります。以前、祭りを手伝って、その打ち上げが公民館でありました。新参者なので、最初は『どこの誰だ?』という感じだった。ただ祭りの手伝いは頑張っていたから、ひとまず“頑張るヤツ”っていうイメージが年配者や若手の間でついていたと思います。それで、『お疲れ様、一杯やろう』となって、お酒を注がれてご返杯をしあうわけです。お酒を飲みつつ話をしていると必ず年齢を聞かれるんですね。それで答えると、その瞬間から年下はみんな“くまさん”とさんづけに変わる。年上で、お酒が強いことはインセンティブだなと感じましたね」

ちなみにこういった飲み会があると、帰れないこともしばしば。集まるのは、公民館だったり人の家になることが多く、街なかに飲みに行くのは稀なこと。どちらにしても、誰かが迎えに来てくれないと行けないし、タクシーは高いので敬遠される。

「そうなると、場所は人の家になるわけです。同じ島内といっても、地区によってはけっこう離れているので、家族に迎えをお願いするのも負担をかけてしまう。そうなると、『まぁ泊まっていけよ』となるんですよ。個人的にはあまり他人の家に泊まるのは好きではないんですけど、どうせなら、風呂まで入って朝ごはん食べて帰ろうくらいの気持ちで飲み会に行きます」

移住者はそこそこ社会経験があるとラクかな

隈本さんの話を聞いていると、移住者にはある程度の社会経験がないと、うまく立ち回れないような気がする。

「たしかに年齢がそこそこで社会経験があるほうがラクだと思います。だから結局、Iターン者の人同士で集まってしまうのもわからなくはないです。僕の場合は、奥さんの実家があるというアドバンテージがあるからラクでした。結局は『どこの人ね?』と聞かれて、どこに住んでいて、何をしていて、歳はいくつなのか、抑えられる情報を聞かれるんです。誰と同学年なのかとかね。何度も言うようですけど、『こうあるべきだ!』という正義を押しつけないのはやはり大事だと思います」

移住者同士のつながりも密なのだろうか?

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島移住関連イベントの案内に隈本さんのタコスカーが使われたことも

移住者同士のつながりについても教えてもらった。福江島ではどんなコミュニティができているのだろうか。

「移住の人たちのほうがイベントに積極的です。前にポットラックパーティーという、みんなでごはんを持ち寄るイベントに誘われてタコスカーで出ました。そのときはIターン者が多かったですね。Uターンの子がいて、その子がIターンの子たちの間を取り持って、つないでくれています。僕もそういったつながりで仲よくはなるんですが、30歳くらいの若い子たちと話してみると、ちょっと正義が強い。『五島はこうあるべきだ。変えなきゃいけない』とやや前のめりというか。それはそれでいいんですけど、もっと自然体でいいんじゃないかと思うところもあります」

そういった人たちもその人たちなりのコミュニティの入り方をしている。地域との関係づくりは、人それぞれだ。

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「無農薬でお米作りをするグループに参加していたり、その人たちなりの思いを持って活動しています。そういった活動だったり、コミュニティだったりが、町おこしというか地域の存続にかかわっているかどうかは、また別の話だと思います。昔から住んでいる地元の方々との折り合いがついているかは僕にはわからないですから。ただ、新しい流れは少しずつ生まれていて、その人たちが求めていた離島の暮らし、田舎の暮らしというのは、ちょっとずつ実現できているのかなと思います」

移住者たちのコミュ二ティや、地域を巻き込んでの活動など、五島にもいくつもの動きが出てきているという。小さい芽が今後、どういう形で花開くのか、それは誰にもわからない。まだ始まったばかりだ。


vol.4へ続く】

次回(vol.4)は福江島をどう盛り上げていくか、隈本さんの地域への関わり方についてまとめます。お楽しみに。

五島市の移住情報はこちら

五島市公式サイト
http://www.city.goto.nagasaki.jp/ui-turn/

長崎県の移住情報はこちら

ながさき移住ナビ
http://nagasaki-iju.jp/

長崎県の移住にまつわる記事はこちら

キャンピングカーで移住先探しができるってよ in 長崎県 軽キャン大解剖!

平戸市でカフェを開いた力武秀樹さんの移住物語 全4回
>>https://cazual.shufu.co.jp/archives/tag/hirado_life02

平戸島でゲストハウスの準備している吉田さん夫婦の移住物語 全4回
>>https://cazual.shufu.co.jp/archives/tag/hirado_life01

text:george

【PROFILE/george】

茨城県東海村出身の32歳。インテリア雑誌、週刊誌、書籍、ムックの編集を経て、現在Webディレクター。4年前の朝霧ジャムに行って以来、アウトドアにハマる。テントはMSRのエリクサー3、タープはZEROGRAM。車を持っていないので、キャンプに行くときは知人の車に相乗りが常。なので、基本の装備は「軽くコンパクトに、友人の負担にならないこと」が信条


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