壁も脱衣所もない温泉、「野湯」を求めて
野湯とは普通の露天風呂と違い、温泉施設を伴わない自然に湧き出ている温泉のこと。
山深い場所にある温泉を指す言葉として「秘湯」がありますが、秘湯は基本的に温泉施設を備えているので解放感はケタ違いです。
山奥にぽつんと存在する野湯もあれば、川底をスコップで掘ると湧き出てくる野湯などもあり、場所も利用方法もさまざま。
壁や脱衣所がない場合がほとんどで、入浴するには少々勇気がいる温泉です。しかし温泉好きとしては無視できない存在でもあります。
夏が終わりだいぶ涼しくなってきた9月下旬の昼下がり、自然を全身で堪能できる野湯を求めて温泉ツーリングに出発しました。
道路わきにポツンと湯船が残る【二庄内温泉】@青森県黒石市
最初に目指したのは、青森県黒石市にある「二庄内温泉」。
Googleマップで二庄内温泉へのルートを検索すると、国道に面したこの場所から山に入っていくように案内されました。
「二庄内入口」の立て看板が立っているので間違いないでしょう。
よくある「熊出没注意」ではなく、「熊出没(中)注意」の文字がなんとも威圧的です。
田舎に住む者としては熊はリアルな脅威として認識しているので、さっそく少しだけ心がくもります。
ナビが案内する道に入ってすぐ、曲がりくねった林道が現れました。
谷に沿うようにして続く林道はそれほど荒れてはいないものの、道幅が狭くガードレールもありません。
安全なスピードでもほどよいスリルが楽しめる道です。
そして走ること数分。目の前に現れたのは行き止まり……ではなく、「道」と呼ぶのもはばかられるような”獣道”。
バイクから降り、生い茂る雑草をかき分けて先に進めるかどうかを確認します。
「頑張れば行けなくもないかな……」と思ったものの「熊出没中注意」の立て札(!)が頭をよぎり、Uターンをすることに決定。
ひとりで林道を走行する際には無理をしないのが鉄則です。気を取り直して国道にもどり、反対側の道からアプローチすることにしました。
迂回する道としてGoogleマップに案内されたのが、この場所から入るルート。「ランプの宿 青荷温泉」の案内板が目印になっています。
青荷温泉は広くその名が知られている秘湯で、施設内には照明がないため夜間は灯油ランプを片手に移動するという風情あふれる温泉施設。
電気が使用できないだけでなく、スマートフォンの電波も届きません。
ふだん身近にあるハイテクから離れることによって、周囲を取り巻く自然の音や彩りをより高い解像度で感じ取ることができる温泉。それが青荷温泉です。
そして二庄内温泉は青荷温泉のさらに奥。ワインディングを下った先の、少し開けた場所にありました。
道路から丸見えの場所にある二庄内温泉は、塩ビ管からコンクリートの四角い湯船にお湯が注がれるという、一応は風呂としての体裁を保ったもの。
その場所に置かれていた立て札には「単純泉」と記載されていますが、湯船にたまった湯にはかすかなタマゴ臭があり、天然温泉らしさが感じられます。
湯船はかなり深めに作られており、実際に入浴すると立ち湯に近い状態になることでしょう。
序盤に大きなタイムロスをしてしまったので、ここでは全身浴ではなく手湯として利用しました。
ぬるめの温泉で手の疲れを癒し、次の野湯へ向かいます。
ワイルドさを極めた【奥八九郎温泉】@秋田県小坂町
次に目指したのは、秋田県小坂町にある「奥八九郎温泉」。
小坂町には名前に「八九郎温泉」と入っている温泉が3つあります。
その3つとは、村の共同浴場として利用されている「八九郎温泉」、そこから山のなかに入った場所にある「奥八九郎温泉」、奥八九郎温泉よりも先に進んだ場所に存在する「奥奥八九郎温泉」。
そのなかの八九郎温泉はビニールハウスで囲まれた、全国的にもめずらしいしいスタイルの温泉です。
初めて見た人はこれが温泉であるとは夢にも思わないでしょう。
現在の八九郎温泉は新型コロナウイルス感染拡大防止策として、町民以外の方の入浴を受け付けていません。
当面の間はこの状態が続くとのことで残念ですが、お年寄りが多い場所なので致し方ないところです。
目当ての奥八九郎温泉は、八九郎温泉そばの林道入り口から5分ほど走った先にあります。
バイクを路肩に停めて急な下り坂をなんとか滑り下り、振り返ると60度ほどもありそうな傾斜。
ブーツを履いていたからなんとかなったものの、普通のスニーカーや革靴でこの急坂を下るのは無理があるでしょう。
そしてぬかるみに足を取られ、木の枝をかわしながら進んだところに野湯を発見。その姿は温泉というよりも沼といった感じです。
手で温泉の湯をすくってニオイをかいでみると、はっきりとわかる鉄のニオイ。なかなかヘビーな泉質であると感じました。
ふだんからこのような成分が濃い温泉を好んではいるものの、ここの湯つぼのなかには腐った木の葉や虫の死骸が沈んでいるため足を入れるのはためらわれます。
ボコボコと底からお湯が湧き出す奥九八郎温泉は、生い茂る草木により周囲から隔絶された空間、すぐ近くを流れる川の音と、ロケーションとしては最高です。
しかし筆者にとっては少々ワイルドすぎる温泉でした。
かつて観光客にも人気だった【奥奥八九郎温泉】@秋田県小坂町
奥八九郎温泉からほんの2分ほど走った先に、奥奥八九郎温泉があります。
先ほど立ち寄った奥八九郎温泉と違い、道沿いにあるのですぐにわかりました。
長い年月をかけて温泉の成分が堆積したと思われる外観が特徴的で、奥八九郎温泉よりもかなりきれいです。
林道沿いにあるので走っている車からは丸見えですが、それさえ気にしなければかなり快適に入浴が楽しめるはず。
しかし残念ながら、温泉の周囲にロープが張られ、立ち入ることができないようになっていました。
以前は自由に入浴することができ、この場所を求めて訪れる観光客もたくさんいたのですが、いつからか立ち入り禁止になってしまったのだとか。
残念ですが、ここは見て楽しむだけにとどめておきます。
そしてこの時点ですでに周囲が暗くなり始めていたので、野湯の探索はここで終了。
結局3か所の野湯を巡ったものの、実際に入浴することはありませんでした。
しかし入浴はできなかったものの、林道を突き進み、ときには草木をかき分けて、やっと目当ての野湯を発見した瞬間。そこには大きな達成感とこの上ない心地良さがありました。
それを1日に3か所で味わえただけで、十分満足でした。
次の機会には、どんな野湯と出会えるのか楽しみです。
安全に十分注意して野湯を楽しもう
ちょっとした冒険と、解放感にあふれた入浴の両方が楽しめる野湯。
脱衣所も目隠しも設置されていないので周囲の目は気になりますし、少しくらい汚れているのは当たり前。
だからこそ野湯での入浴には特別感があり、ふだんでは起こりえない心の動きによって、そこで過ごした時間が強く印象に残るのです。
最初はハードルが高いと感じるでしょうが、慣れるとよりディープな温泉の世界を楽しめるようになるでしょう。
温泉が好きな方、とくに露天風呂が好きな方にはぜひ味わってみてほしい素敵な体験です。
ただし、野湯は自然のなかにある温泉のため、クマやイノシシなどの野生動物、スズメバチなどの危険な虫と遭遇する可能性があります。
また、落石や崖崩れ、有害ガスの発生や火山の爆発などの自然災害に遭う可能性もゼロではありません。
野湯へ行く際にはしっかりと装備を整え、安全に関して細心の注意をはらいながら楽しみましょう。
写真・文/斎藤純平
【Profile/斎藤純平】
キャンプ、バイクツーリング、スキューバダイビングを趣味とするアウトドアライター。加えてこれから狩猟を始めようかと画策中。何をするのにも基本的にすべて一人で、キャンプもツーリングも思い立ったら即出発。読み手にとって本当に役に立つ情報を発信します。