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cazualチームは宮崎県小林市で2週間滞在してプチ移住生活を体験した。そこで出会った素敵な人やアクティビティ、暮らし心地をレポートするシリーズ記事を展開している。
小林市をさまざまな角度から掘り下げるシリーズ記事2回目に登場する移住者は、1年前にも取材した青野雄介(37歳)さんだ。
青野さんは会社員だったころ、転勤により九州に配属となり、そして地域にほれ込み、やがて九州移住を考えるようになった。当時(前回の取材は2017年3月)ともっとも違うのは、青野さんが地域おこし協力隊を退任したということ(本記事の取材は2018年4月)。ついに小林市で起業を果たしたのだ。
青野さんの宮崎県小林市への移住経緯が語られたおよそ1年前のインタビュー記事はこちら。
>転勤で九州に惚れこみ移住し、地域おこし協力隊に/宮崎県小林市_青野さん VOL.1
>にぎわいを取り戻そうと「こばやしマルシェ」を立ち上げ/宮崎県小林市_青野さん VOL.2
>地域おこし協力隊で成果をあげる人とは?/宮崎県小林市_青野さん VOL.3
宮崎県小林市のほかのシリーズ記事はこちら。
>宮崎県小林市シリーズ記事一覧
「こんないい条件聞いたことない」小林市の地域おこし協力隊制度
cazual編集部(以下、c) 以前のインタビューとかぶるところはあると思いますが、小林市への移住のきっかけをあらためて教えてください。
青野さん(以下、青) 小林市への移住のきっかけは、大阪で開催された合同移住相談会なんです。九州へ移住するというのは、前から決めていたんです。でも実はそのころ、小林市ではない地域を考えていました。その移住相談会に希望していた自治体が出展していて、そこにたまたま小林市も出展していました。
会場を歩いているとき、小林市ブースの前を通りかかったら、「ちょっと話だけでも聞いて行かないですか?」って声をかけられて、時間もあったのでそのまま座って話を聞いたんです。
c 地域おこし協力隊の制度は知っていたんですか?
青 移住相談会の時点で、すでに地域おこし協力隊のことは知ってたんですけど、ただその内容は明確につかみきれていなくって・・・。
小林市から「ちょっと話を」って呼び止められたところから、地域おこし協力隊の説明や市の募集の内容を聞きました。話を聞くまでは、地域おこし協力隊って役所の手足のように使われるだとかネガティブなイメージもあったんですけどね(笑)。
俗に“小林方式”って呼んでいるんですけど、地域おこし協力隊の任期3年間のなかで、1年目は地域活動7割に対し自身の起業に向けての活動3割。それが2年目に5:5になって、3年目3:7と時間配分が逆転する。地域おこし協力隊の活動期間中でも、起業するための時間を確実に保証してくれている点にすごく魅力を感じました。
移住する前は農業法人を起業の候補の1つとして考えていたんです。でも農業をはじめるには最低3年と言われている。でも、その地域に入って地域おこし協力隊として活動しながら3年間固定の給料もらって、自分の起業のための準備ができる。「こんないい条件聞いたことないぞ」と、がぜん目の色が変わって(笑)。
c その説明会はいつごろですか? どうして九州への移住を決めていたんですか?
青 2015年の8月月ごろ。当時は奈良に住んでいて、大阪にある会社に勤めていたので、大阪の説明会です。それで2016年の5月に小林市に来ました。勤めていた会社は商社で、転勤族だったんです。僕の生まれは千葉県で、新卒で入った会社は東京採用。でも最初の配属先が福岡(笑)。
c 東京採用でいきなり福岡配属は過酷でしたね。
青 本当に(笑)。福岡配属って聞いて「なんで?」って感じ。そのときは会社を呪ったんですけど、実際に福岡へ行ってみたらめちゃくちゃ楽しいんですよ。福岡勤務が本当楽しくて、そのあと宮崎に転勤になって、鹿児島に転勤になって。その3つの県に配属されている期間中に、九州全県を遊びまわりました。
九州配属になっていた3年半ですっかり魅了され、何かをするとしたら九州以外は考えられないくらい好きになっちゃってた(笑)。でもそのあと大阪転勤になったんです。
c 移住するにあたり、奥さまの反対はありませんでしたか?
青 そりゃあ最初は反対ですよ(笑)。妻は九州出身なので、九州に来ること自体はそんな反対ではなかったんですけど、会社を辞めて、ましてや農業って、そんなリスキーなことには反対ですよね(笑)。
c 地域おこし協力隊として手当があっても?
青 最初はいきなり移住して農業をはじめようと思っていたんです。だから農業法人に話を聞きに行ったら、それはちょっとリスクが高すぎるって言われました。なんとか収入を得ながら、農業の修行した方がいいとアドバイスをもらって、選択肢に地域おこし協力隊が入ってきたんですよ。
はじめは地方で何ができるかはイメージできなかった
移住したら農業をはじめようと思っていた青野さんに、飛び込んできたのは地域マルシェの計画。移住前に住んでいた奈良のお祭りのにぎわいと、そのマルシェのイメージが重なったので実行委員長を引き受けた。
やりたかった農業の実務とは遠いけど、そうやって町のいろいろなところとつながりを作っていくうちに、自分が本当に向いていることはなにか、わかっていった。
c なぜ農業と決めてたんですか?
青 環境問題にずっと興味がありました。興味があるというか解決したいっていうのが、子どものころからずっとあったんです。
以前勤めていた会社は、工場とかに機械や工具を納める仕事だったんですけど、環境負荷に大きな割合を占める産業分野に省エネ機器を投入することで、環境問題の改善へ貢献できるんじゃないかと思いました。でも消費することが前提の社会なので、環境問題の改善といっても、どうしてものれんに腕押しな感じもしました。
さらに、これはしょうがないことなんですけど、やっぱり経済原理の下に会社運営をしなくちゃいけない。いかに「環境に」って言ったところで、結局は経営が成り立つかってところで判断せざるを得ない。
仕事に限界を感じてるなかで、この社会の仕組み的なところにアプローチする方法はもっとないのかなって考え出したんです。ちょうどそのころニュースとかで、地方にすでにある資源を活用して、持続可能な形に発展させていこう、という動きが取り上げ始められていました。「あ、この動きじゃないかな」っていうのを、自分のなかに感じたんです。
そのなかで何をするかって考えたときに、当時は農業を考えていました。農業を中心としてそれに付随するいろんな、観光農園とか、6次産業化とか、そういうのを重ね合わせて、地産地消であったりとか、地域の資源を外に発信していくことで、持続可能なモデルができないかなって考えました。
やはり当時は、まだ地方に入ってなかったので、都会を離れて地方で何ができるかというイメージが明確に描ききれなかったっていうのはありますね。
c 実際に移住してきたころは、なにで起業しようっていうのは確定できていなかった?
青 基本的には農業と、決めていましたが、ほかにも可能性が見出せれば、そっちもやりたいと思いながら移住しました。
立ち上げた「こばやしマルシェ」は駐車場がパニックになるくらいの盛況ぶり
c 以前も取材させていただいたマルシェは?
青 「こばやしマルシェ」は、お店が何十店か出店して、それをお客さんが買いに来る、一般的なマルシェイベントです。
「こばやしマルシェ」自体は僕が移住してくる前から計画されていたことです。でも具体的なことは定まってなく、小林市に来て間もないころに協力隊でどうですかと、いきなり話が舞いこんできたんです。移住前に住んでいた奈良には地元のお店が出店するお祭りがあって、それまで知らなかった店にそういうところで出会い、ファンになって、実際にお店へも行ってみるみたいなことが、僕はすごい好きだったんですよ。
そういうのに可能性を感じてたし、地域のなかにつながりを作っていかないと自分がやりたいことは成り立たないのもわかっていたので、そんなきっかけにもなると思って「こばやしマルシェ」実行委員長を引き受けたんです。
c 「こばやしマルシェ」を実際にやってみてどうでした?
青 そういった祭りの実行委員長なんてやったことがなくて、本当に不安でした。なんとかかたちにしたら想定の何十倍もの人が来てくれたんです。ポツポツしか来てくれないかと思ったら、駐車場がパニックになるくらいでしたけど、それを続けて行く大変さってありますね。
c 現在の「こばやしマルシェ」の開催は?
青 2017年2月から始めて2018年4月まで毎月、月1回のペースで開催していて、今はちょっとストップしてます。
c 人気のあるイベントなのに、なぜストップを?
青 リニューアルのため、ストップしています。実行委員のメンバーはみんな本業があるなかでボランティアで参加してもらっています。そのなかでも時間的余裕のある地域おこし協力隊が事務局として中心的に動いていました。しかし、自分の定住のために新しいことをどんどん始めていかなくてはいけない。
そうなると割ける時間というのもどんどん減っていくわけです。そうして徐々に開催することだけでいっぱいいっぱいになってきてしまって……。
元々はただイベントをやるじゃなくて、それを通じて新しい出会いを生み出したいっていうところから始まったんですけど、それがイベントをやることが目的になりかけてしまっていた。この流れはちょっとマズイなっていうことで、一回見直そうとしているのが2018年4月現在です。
c 安心しました。本来の目的に近づくためのストップだったんですね。そして青野さんとしても起業するためになにかをやらなきゃいけない。
青 そうですね。マルシェ以外にもいろいろやり始めました。野尻地区の薬草・ハーブ活用推進会議に参加して一緒に考えたり、協力隊のサミットという宮崎県内の地域おこし協力隊のネットワーク作りをやってみたり。
将来的に起業することは決めて移住してきたけど、僕はアーティストや職人のように、自分で何かを生産するタイプの人間ではないのではないか。どちらかというと、生産者とアーティストをコーディネートして、僕が何か形を作る。そっちのほうが自分にたぶん向いてるし、好きだなというのが小林市で活動していくなかでわかってきた。なので、そういう方向で起業しようと、移住1年目の後半くらいから考えるようになりました。
やりたいのは農業ではなく地域商社と見えてきた
物と物、人と人をつなぎ合わせる商社的な機能として、地域のなかでいろいろなかたちを作っていく。農業で起業しようと移住した小林市で、活動していくうちに地域商社として、農業を含め、さまざまなものをつないでいくほうが自分に向いてると考えるようになった青野さん。
将来の起業に向けていろいろと活動を活発化させていくなかで、まずTENAMU交流スペースの運営の話が来て、そのあとコワーキングスペース「TENOSSE(テノッセ)」の話が小林市から入って来た。
補足説明をすると、数年前に中心市街地のシンボルのような存在だったスーパーが閉店。そこで中心市街地のにぎわいを取り戻すべく、スーパー跡地に街の交流拠点となるTENAMU(テナム)ビルが建設された。小林市活性化の鍵となる施設だ。1階にスーパーマーケット、2階にはいろいろなオフィス、3階以上は賃貸マンションになっている。ここの交流スペースと、TENAMUビルに近いところに新たなコワーキングスペースを作る話が寄せられたのだ。
これが起業の転機となる。2016年5月に地域おこし協力隊として小林市に来て、2017年9月に任意団体「BRIDGE the gap」を立ち上げ、2018年2月に株式会社 BRIDGE the gapを設立した。
c 活動していくなかで起業のイメージが浮かんできたんですか?
青 はい。地域商社という構想が浮かんできて、それに向けてありとあらゆるところに参画して、いろんな可能性を見出して、そのなかで何がビジネスとして成り立つのか探っていこうって思いました。
そういう活動をしているときに、TENAMU(テナム)交流スペースとコワーキングスペース「TENOSSE(テノッセ)」の話が来ました。
僕としては地域おこし協力隊を3年間しっかりと勤めあげて、その間に可能性をできるかぎり拾い上げて、なんとか食っていけるくらい稼きながら、徐々に徐々にという考えでした。
c でも実際は、3年を待たずして起業したんですね?
青 まずはTENAMUビルのなかにある公共施設の運営っていう、考えてもいなかった事業が舞いこんで来て(笑)。
「こういう場所に、このぐらいのスペースがあって、ゼロベースで一緒にコンセプト考えて行きましょう」みたいな話。立ち上げる地域商社のプランとしては農産物や特産品を外に売っていく動きを最初の形として考えていたので、全然違う角度の話がきたので「えっ、どうなのかな?」と、すごく迷いました。
c TENAMUビルにある施設は運営ありきではなく、そこでなにをやるかというところからのスタートだったんですね。だったら自分が起業したい内容に少しでも近づけると?
青 僕は「こばやしマルシェ」を通じて、小林市の中心市街地の活性化にすごく興味を引かれました。小さい街ながらも地元の人がしっかり商売をやっていて、そこにキーマンもいたりして、そういう人たちがつながり合うことで、なにか新しい動きが起きたりする。
ここらへんは市の真んなかで、昔は商店街は人がごった返してて、すごかったみたいなんですよ。ところが、やがてクルマ社会になって、郊外に人が流れるようになっちゃって、市の中心部は人が少ない地区になってしまった。郊外型店舗ってどうしてもクルマ前提なので、クルマで買い物に行って、目的を果たしたら終わり。偶然性が全然ない。そういう生活は、僕にとってはつまらない。今まで都市部に住んでたから、街歩きが好きなんです。
c 店が連なる商店街は、「こんな店があるんだ!」と発見があります。町歩きの魅力は、そういった偶然の発見があることですよね。何かがありそうなワクワク感が町にあることって大事だと思います。
青 今の小林市には偶然の出会いが起きるエリアが少ないから、そういう街歩きできる場所があったほうがいいなと思いました。たとえば、どこかにクルマを停めて、このエリア全体をグルッと歩きながら、いろんなものに偶然触れ合って、そのなかで何かまた新しいことが生まれていったりとか。新しいことが起きる可能性って、郊外型の店舗ではなかなかないんじゃないかな。
ちょうど街の活性化にすごく興味がわいていた時期に、中心市街地活性化を目的としたTENAMUビルが建って、そのなかの一画を使って何かをやらないかと話が来た。「あれ? これって自分がやりたいことできるんじゃない?」と思えたんです。
コワーキングを小林市の移住と起業の拠点にしたい
コワーキングスペース「TENOSSE(テノッセ)」の「てのっせ」とは、小林の方言である西諸弁で「一緒に」という意味。未来に向けて、新しいことをしたいと考えている。もしくはまだやりたいことが明確でなくともいいから、行動してみるきっかけが欲しい。そんなとき隣り合った席から、そのときコワーキングスペースに一緒にいた人たちから、新しいなにかが始まるかもしれない。この小林市から。
青野さんが委託運営している「テノッセ」は、フリースペースは無料で、共有スペースは1回200円で広く開放している。
c 「TENOSSE」の構想はどんな感じで始まったんですか?
青 コワーキングスペースは、フリーランスに近い方たちが仕事しながらお互いにアイディア、意見交換などをしながら、新しいコミュニティやアイディアを生み出していく場だと思いますけど、僕のなかでは都会にできた新しい仕組みだから小林市では難しいと最初は思ってました。
単純にコワーキングスペースだけでこの施設をまかなうのは、かなりリスキー。でも、コワーキングと移住センターの二重の機能があれば、いろいろ回っていく可能性がある。だからこの施設では移住事業もやっています。
僕としては、移住と起業は結びついてます。IターンもUターンもそうですけど、その転居先に自分のやりたい仕事がある可能性は少ないと思うんです。そうなってくると、やりたい仕事を作っていくしかない。
地方はチャレンジしやすい 都会では無理なことが無理じゃない
c 仕事を作るというのはなかなかハードルが高い気がします。
青 地方はチャレンジしやすいと、この2年間で思うようになりました。チャレンジしやすいっていうのは成功しやすいということとは違くて、失敗したときのリスクを最低限にできるっていう意味です。
たとえば、月20万円の家賃を払わなきゃいけないのか、それとも月5万円でいいのかで、全然変わってくるじゃないですか。地方なら初期投資もランニングコストも少ないので、最悪失敗したときでも、「いつかまた、もう一回チャレンジする!」ぐらいの傷で済むと思うんですね。それが、都会でチャレンジに失敗したときは、相当な傷を負うように思います。
c 確かに生活コストが低いので、そういう意味でリスクは都会より少ないかもしれないですね。
青 ただ、地方はそのぶんニーズも少ないし、モノも絶対数が少ないから難しい面があるとは思いますけど、都会では無理なことが、地方では無理じゃなかったりすることもある。
前の会社では、グチを言いながら仕事してる同僚がいっぱいいたんです。優秀な同僚なので、それだったら1回飛び出てチャレンジしてみればいいのにと思うんですけど、みんなやっぱりそこで足踏みしちゃっています。
コワーキングスペースがあれば、どこにでもいるそういうくすぶってる人たちがチャレンジするきっかけになるし、地方は課題だらけなので、そういう優秀な人たちが入り込んできたら、いろんな課題が解決していくんじゃないかと思ったんです。
c 移住とコワーキングは結びついてくると?
青 そうですね。起業というか、なにか自分でチャレンジするきっかけを作る場として、コワーキングという形は小林市でもありなんじゃないかなと思えました。
フリーランスを前提としたコワーキングじゃなくて、既存で事業やっている人もそうだし、移住して何かをやりたい人もそうだし、本当にフリーランスの人もそうだし、そういう人たちが次のチャレンジをするきっかけとして使ってもらう場所。だから本当の意味でのコワーキングとは定義が変わってくるかもしれないですね。それをやる価値があるんじゃないかなって考えました。
新しくチャレンジをしようとしている人に使ってもらいたい
c 「テノッセ」をどんな人に利用してもらいたいですか?
青 僕としては新しいチャレンジをしようとしている人だったら、そこには明確な線引きはいらないと思っています。
イチから自分で起業する人もそうですし、既存の事業をさらにもう1段階ステップアップさせたい、農家さんだったら6次産業化に取り組むとか、可能性があったら新しい収入源を確保するというチャレンジですかね。
小林市以外に住むフリーランスの方の利用っていうのも、全然あり。それで小林市民とつながればと思ってます。今は小林市にないと思われてたりするものが、外の人たちの目によって、実は小林市にもいっぱいあるんですよって気づかされるとか。
また、小林市内ではなかなか得られない知識や経験を市外の方たちが持っていることもある。そういう方たちとつながることで、小林のポテンシャルをあげていくような場として機能させていきたい。ここはまだ始まったばかりなので、まずはそういうチャレンジしたい人たちをどうやって集めるかというところに課題をおきながら展開を考えていく感じです。
c どう集めようと考えていますか?
青 まずひとつは積極的にイベントを打っていく。そして、ラボ機能をつくりたいと思っています。Uターンで戻ってきたIT関係の方と話をしてイメージが湧いてきました。
たとえば、地場産業を外に売りたいとする。農家さんはいい物は作れるし、現場のことはわかってる。でも、外に売っていく部分は知識が足りないというか、どうやっていいかわからない。一方、ITにまつわる人たちは、売るためのプラットホームを作るノウハウは持ってるけど、実際に農産物をどう仕入れて、どうやって選別して発送するかというリアルな部分に関して知識がない。
そういう方たちが一緒になって考えて、一緒に何かサービスを作り上げていくというか、仕組みを作り上げていくラボ機能をつくれないかと。
不特定多数の人に来てもらってというよりは、最初はある程度限定するというか、そういう課題を持っている方に積極的に声を掛けて、集まって一緒に考えていく取り組みを何個か立ち上げていく、そんな形ができないかなと考えています。
c 人が集まって、仕事が生まれるのだとしたら、事務所スペースや工場スペースを斡旋するような空き家バンクがここにあってもいいですね。
青 実はここ、空き家バンク機能もあるんです。空き家の発掘と情報発信もしていきます。
c 起業もできたし、青野さんはこのまま小林市に住み続けていきますか?
青 うん、基本的にそれ以外は考えてない。まだ永住するとは言いきれないですけど(笑)。
人と人が出会い、新しい発想が生まれ、何かにチャレンジしていくきっかけとなる場所が青野さんの目指すコワーキングスペースだとしたら、そこにいつもいる青野さんもまた誰かと出会うはず。ワーキングスペースの可能性や、拠点に縛られないこれからの暮らし方に気づかせてくれる最後の言葉が印象的だった。
宮崎県小林市のほかのシリーズ記事はこちら。
>宮崎県小林市シリーズ記事一覧
■プロフィール
青野 雄介(あおの ゆうすけ)さん
1980年、千葉県生まれ。商社勤務時代に転勤で配属となった九州にほれこみ、2016年5月に地域おこし協力隊として宮崎県小林市に移住。2017年9月に起業し、2018年2月「株式会社 BRIDGE the gap」を創設。テナム交流スペースとコワーキングスペースを管理運営している。
施設インフォメーション
■TENAMU(テナム)交流スペース
住所/宮崎県小林市細野1897番地 TENAMUビル2階
TEL/0984-22-1075
開業時間/10:00〜21:00
休館日/火曜日、年末年始
■小林市コワーキングスペース「TENOSSE(テノッセ)」
住所:宮崎県小林市本町14番地
電話:0984-27-4711
開業時間:9:00〜18:00
休館日:日曜日、祝日、年末年始
使用料:フリースペース(無料) /フリースペースの独占利用(1時間1,000円)/共有スペース(1回200円)/ブーススペース(月5,000円)/レンタルオフィス(月15,000円)
photo:ULALA
text:アマキン
【PROFILE/アマキン】
本業はクリエイター。アウトドアアクティビティ、DIY、クッキングを得意とすると豪語しながら、すべてはプロフェッショナルには遠く及ばない「素人にしては、まあ上手だな」程度のレベル。
構成:所 隼登
(本記事は宮崎県小林市と協働製作したスポンサードコンテンツです)