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2013年10月、宮崎県小林市に地域おこし協力隊として移住してきた田地祐造さん(42歳)。3年の任期を終えた現在も小林市に残り、養蜂家として活動している。今回の記事では、養蜂について聞いた。
ニホンミツバチの養蜂にチャレンジ
移住を意識しだした東京でのサラリーマン時代、地方でどんな仕事ができるのかと模索した。そのときに目をつけたのがハチミツ。養蜂家へのチャレンジだった。
「僕が飼っているニホンミツバチはもともと日本にいる在来種。自然に自生しているハチです。セイヨウミツバチは輸入されたもので 産業化されて技術も確立されています」
ニホンミツバチとセイヨウミツバチはどんな違いがあるのだろうか。
「ハチミツとしての大きな違いは、
これは蜜を貯める量の違いも関係していて、
生産効率ならセイヨウミツバチ、希少性ならニホンミツバチというわけだ。
「ニホンミツバチの場合、蜜を集める量が少ないのでだいたい収穫は年1回です。これは日本の気候によって性格づけられたのだと思いますが、四季があり年中、花がある日本ではあまりたくさん溜め込まなくても
養蜂は自然相手なのでコントロールが難しい
田地さんの場合、巣箱1箱で4キロほどの収穫だ。
「収穫量は1つの群れから平均して4kgほどです。ていねいに販売すれば近所の直売所で売っている価格の倍以上の価格で
ただ、普通の瓶に、
ニホンミツバチは家畜化されず自然に左右される
昨年は、秋にススメバチにやられて巣箱が1箱だけになってしまった。
「手入れに行き届かない点があり、ミツバチの群れがいくつも消滅してしまいました。対策は毎年、いろいろと工夫しています。たとえば、巣箱の入り口に洗濯カゴを取りつけるとミツバチしか通れないくらいの穴になります。そうして、スズメバチが近寄れないようにしています」
自然相手なので、すべてをうまくコントロールしていくのは難しいという。
「蜜を採ったら瓶詰めをします。セイヨウミツバチだと糖度は80度くらいですが、ニホンミツバチは77度から78度くらい。
湿気が多い時期に収穫すると水分が多くて糖度が低くなるので、わざと乾燥させて糖度を上げる場合もあります。ただ低くても、すぐ食べるぶんにはあまり影響がないので、個人的にはわざわざ糖度を上げなくてもいいのかなとも思います。そこはやっている人によりますね。
また、ハチのエネルギー源は花蜜で、幼虫の栄養源は花粉ですね。花が少ない時期は砂糖水をあげる人もいるんですけど、ハチミツに砂糖水が混ざっちゃうことになるので、僕はやらないです」
養蜂の収入はまだ微々たるもの
協力隊時代から少しずつ養蜂は始めていて、現在で4年目。生産から営業、販売まで田地さんひとりでこなしている。
「販売は、いまのところ人づてって感じです。昨年はほとんどを福岡で販売していただきました。ハチミツを販売するだけではなく、ミツバチと触れあう体験などもやったり。収穫量が少ないので値段もそれなりですけど、都市部に持って行けば希少価値も上がって値段も上がるのでそっちのほうがいいかなと。知っている人に買ってもらう感じですね。いっぱい採れてもしばらくは東京の友達に買い支えてもらおうと思って(笑)」
買い支えてもらうという表現からもわかるように、まだまだハチミツだけで暮らしていけるわけではない。協力隊時代も含めて、収入面はどうなっているのか教えてもらった。
「現在はミツバチのようにこれまでに貯めた貯蓄で生活しています。身もふたも無いんですが、
地域おこし協力隊のときは市から給料はいただいていましたけど、収入は会社員時代の1/3以下ですし、
自分がやれる規模の養蜂では思ったような生活レベルにならないの
地方のメリットは、競争が少ないこと、そしてすぐにやれる環境にあること
「養蜂で言えば専門でやっている方は市内で1つ、地域でも10事業
ハチミツも除虫菊も同じですが、田舎だと競争が少ないこと、そしてすぐにやれる環境にあることがすごくメリットだと思います。
先ほど話した民泊や商品づくりのための原材料づくりも目の前に畑
それと地方で起業するうえでのポイントとしては、地元の人と仲良くしているといろいろと助けてくれるのを実感しています。東京から来て根づこうとしていることを喜んでくれて応援してくだ
苦手な生活をすることで成長を実感できる
「ハチのことで毎日、何かをやるのは、春前から春いっぱいの時期です。春は分蜂の時期なので、巣箱の準備したり、巣箱を置きに行ったり、そういうことをしています。あと収穫をするのが秋。ふだんは見回りと、夏前はスズメバチの対策をするくらいです。ほかの時間は畑仕事などしています」
農作業以外に家のメンテナンスも忙しいそうだ。
「壁を塗ったり障子を変えたり、家のメンテナンスをしています。最初はトイレも水洗じゃなかったですし、お風呂も薪で沸かすものだったのでリフォームしました。床もボヨンボヨンで、押入れも雨漏りでベコベコだったんです。古い家なんで自分でできるようにならないと、と思って、大工さんに教わりながら苦手な作業も頑張っています」
何をいつやるのか、どうやるのか、何をやるにしても自分自身で責任を持って決めていく生活を送っている。東京時代とは真逆の暮らしだ。
「すべての時間を自分のために、
【vol.4に続く】
取材・文/george
【PROFILE/george】
茨城県東海村出身の32歳。インテリア雑誌、週刊誌、書籍、ムックの編集を経て、現在Webディレクター。4年前の朝霧ジャムに行って以来、アウトドアにハマる。現在は、アウトドを主軸にしながらも地方移住などローカルトピックにも積極的に関わっている。