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移住者の野田さん夫妻は廃校になっていた小学校を借り受けて、宿泊施設<みどりの時計台>として開業。
妻・由美子さんは校長先生、夫・正樹さんは用務員さんという、小学校ならではの肩書きを使って運営している。
はじめはラフティングガイドとして大豊町に移住。
そしてガイドのようにシーズンに限定されない仕事で、大豊町に定住するため考え付いたのが、廃校を利用した宿泊施設だった。
「当時は5つぐらい廃校があったんですよ。子供が減っていくもんだから、統合統合の繰り返し。
廃校になっている学校には鉄筋コンクリートのキレイなところもあったけど、やっぱりこの昭和チックな木造がすごく気に入って。この場所は高速道路のインターからも近いし、日当たりもいいし。ここ以外は興味なかった」
「ここを見つけたきっかけも、川から見えた『緑色の時計台』やったし。時計台のある体育館の方は借りていないんですけど、私らにとってシンボルタワーみたいになっていたので。
だからこの宿泊施設も<みどりの時計台>って名前に。ここを借りることができなかったら、大豊町にいなかったと思うくらい。なんとかして借りたいって気持ちがあって」
ラフティングのガイドをして、大豊町に住んでいたから借りられたんですか?
「簡単に借りられたわけではないんですよ。住んでるのは同じ大豊町の中でも地区が違うと全然別。だからなかなかすぐにOKというわけにはいかなかった。
この地区はガイドのエリアと関係なかったら、知っている人がほとんどいない。まったく知らない人たちに、自分たちの自己紹介からはじめるといった感じからはじまって、新たに関係性をイチから作って、1年半くらいかかった。だから2度移住したという感じです」
「大豊町って、大阪市より広いですからね」と正樹さん。
「昭和の大合併でできた、村と村の合併。集落が違うと考え方も違ったり、言葉もちょっと違ったり……。
廃校を借りたいって言っても、地区の人からすれば、よそ者の話。
だから地元の人たちに説明したりとか」
「廃校を宿泊施設にして、いきなり都会から観光客がいっぱい来たらとか、狭い道でお年寄りがバックもできないのにお客さんと対面になったらどうしようとか考えると、地域の人らは不安になるわけですよ。
じゃあ、お客さんには遠回りでも迂回して広い道をご案内しますよとか。駐車場はべっこで専用駐車場を構えますからとか。
ここはこうしよう、あそこはこうしますからと、みなさんの不安をひとつひとつ解消して。
『そこまでやってくれるんやったら、まあ、ええかな』みたいな。
区長さんとか公民館長さんとか『受け入れてあげようよ』と言ってくれる人がいたから、みんなも『そうやね』みたいになって。
そういう人たちがもし反対してたら、まず無理。最終的には住民の方がいいって言ってくれたから、役場としても動きましょうみたいな感じになったんです」
ラフティングガイドから、いきなり現在のご職業にスイッチしたんですか?
「オープン1年目は、私はガイドをせずに、彼だけがガイドを続けて、お客さんがいっぱい入れば対応して。
2年目からはラフティング会社も憂慮してくれて、通常だったらガイドは早くに行って準備したりするのも業務だったりするんやけど、それはいいから川の上でのお客さんのガイドだけでもいいから土日は来て欲しいと。
でも土日はこっちの業務も忙しい。ちょっとハードだったけど、忙しいのは夏だけなので両方をやりくりしながら続けましたね」
ガイドを続けながら、宿泊施設<みどりの時計台>の運営をスタートした野田さん夫妻の大豊町移住ライフは、次回へと続く
野田さんご夫妻の運営する「学校に泊まろう! みどりの時計台」の情報は、こちらからどうぞ!
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