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一度、東京に出てからのUターン。
いまや高知市内で暮らしながら、仕事のほとんどが東京からの依頼で創作活動を続ける。
インターネットがあったからこそ、そんな生活ができるという宇田津 毅さん。
東京を離れようと決意した理由は?
「東京での繰り返しの毎日から1歩抜け出したかったっていうのが一番大きいですね。
とにかく環境を変えたかった。そこにいても何も変わらないと。
東京では遊びに行くっていうことがなかった。三軒茶屋に住んでて、遊びって言っても、夜に飲みに行くくらいしかない」
こっちで遊びに行くっていうと?
「こっちでは飲みに行くだけじゃなく、遊びに行こうとなると、川に泳ぎに行ったり……」
高知市内のこんな中心部に、泳げるような川があるんですか?
「クルマでちょっと行けばあります。子供のころだって、自転車に乗って40〜50分で行けてましたから、そんなに遠くないところで泳げます」
四万十川とか仁淀川とかでなくても、泳げるような川が残ってるんですか?
「高知市内からは桂浜とか海も近いですけど、泳ぐのも、バーベキューをするんでも、海より川ですね。
海は遊びに行くっていうより、眺めて癒されに行くって感じ(笑)」
帰ってきてからのお仕事は?
「また鉄工所で社員として働きだして」
やっぱり鉄が好きだったんですか?
「いまでこそ素材としての鉄、それを加工することも好きですけど、当初は鉄を加工するということにまったく魅力を感じませんでしたね(笑)。
それに外での現場の仕事だったんで、夏は暑いし、冬は寒いし。地獄みたいな環境で、こんなの続けてらんないなあって思ってました。
だからこっちに帰ってきてからも、音楽活動は続けて。機材を揃えて、デモテープとか作って」
鉄の仕事といっても、いまとは内容がずいぶん違うみたいですね?
「前の職場では、ただ渡された図面通りに鉄を加工して組み立てていくだけでした。組み上げたものも建物が完成すればすべて隠れて見えなくなってしまうわけで……。
とにかく何か表現がしたかった。だから当時加工技術を持ってた鉄で、なんとなくオブジェとか作りはじめて。それが2004年頃のことですね。
そしたら知り合いから、アパレルの什器製作とかを依頼されるようになって。『ああ、これでやっていこう』と思いついて」
そして鉄のクラフトデザイナーとして独立したんですか?
「活動するにも工房がいるし、工房を作るにはお金もかかる。工房を作るには、鉄工所で働いているサラリーマンのうちにお金を借りた方が借りやすいので。この工房兼住居を建ててから独立して、それから10年になります」
新たなる表現の場を見つけた宇田津 毅さんの高知移住Uターンライフは、次回へと続く
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