移住までの経緯をまとめたvol.1の記事はこちら
東京で映像ディレクターをしていた力武秀樹(りきたけ・ひでき)さん。東日本大震災をきっかけに、働き方を見直し、また親しい友人たちが東京を離れていったこともあり、自身も移住を決意。はじめは趣味の釣りを軸に移住先を考えていたものの、ソーシャルビジネスやコミュニティビジネスを学んで地域を元気にするというテーマに興味を持ったことで、故郷である長崎県平戸市に2012年4月にUターン移住。今回の記事では、移住後の仕事を中心に話をうかがいました。
漁師、情報サイト運営、格闘技教室……平戸に戻ってさまざまな仕事にチャレンジ
「映像ディレクターの仕事を辞めたあと、東京で起業家を養成する講座に半年通い、そこで有名な社会起業家の方たちとひととおり会えた。そのなかで、僕は地域を元気にするっていうテーマにすごく惹かれたんです。どうせやるんだったら知らない土地よりも自分の地元でやろうと」(以下すべて力武さん)
今でこそ、カフェを開いてコミュニティづくりをしているものの、平戸にUターンで戻ってきた時点では具体的なプランがあったわけではない。
「帰ってきてすぐのときは漁師のバイトを週の半分やって、もう半分は起業のことを考えたり準備したりする時間にしようと思っていました。今のカフェに至るまで、仕事は3つくらいやったかな」
平戸の魅力を発信する情報サイトを作ったり、格闘技教室をやったり、試行錯誤の日々だった。
「18歳で高校を卒業して上京したんですけど、もともと格闘家を目指してたんです。20歳でプロになれたものの、すぐに眼をケガしてしまって引退。それから映像業界で働いていました。その経験があったので平戸でも格闘技の教室をやりました」
新しい仕事にチャレンジしたものの、Uターンでもともと縁があるとはいえ、一から立ち上げて仕事を軌道に乗せるのは生半可なものではなかった。
「特にサイトは収益化まで持ってくのがむずかしかった。あと、僕は高校生までしか地元にいなくて、帰ってきてすぐ、人や街とのつながりがないまま始めてしまったのもよくなかった。なかなかサイトも大きくならないし、収益も出せず、平戸で仕事をするには仲間が必要だと思うようになりました。僕自身、平戸市内で精力的に動いたんですけど、ひとりでは限界があるなと途中で感じたんです。特に若い人のつながりが薄かったし、そういった世代が集まる場所もありませんでした」
平戸の若者たちがつながる場所がない じゃあ自分で作ろう
仲間を見つけようといろいろと奮闘するなかで力武さんは気づいた。若者同士がつながるハブのような場所が無いことに。そこで、「無いなら自分で作ってしまおう」と、若い世代が集まれるカフェを開くことを決意。2014年3月、「3rdBASEcafe」をオープンさせた。
おだやかな海が店の目の前に広がるオーシャンビューの古民家カフェだ。カフェの周りには人家や商店もなく、市街地からのアクセスはお世辞にもよいとは言えない。
「店を出すに当たって、唯一の条件は海沿いであること。目の前で釣りができるのもよかった(笑)。店に関しては、僕が実際にやっていくうえで苦じゃない場所でやりたいなという希望がありました。そりゃ収益だけを考えれば、商店街でやったほうがいいんでしょうけど、田舎に来てまで無理して働きたくなかったというのが正直あった。こっちでは、“やりたいことをやって飯が食えればいいや”くらいのスタンスでやっていこうと思っていたので、自分が満足する場所でやりたかったんです」
平戸に帰ってきたころは毎日、釣りに行っていたものの、カフェを開いてからはさすがに頻度が下がった。最近、カフェの運営も落ち着いてきたので、客がいない隙を縫って、ひょいと釣りに行くことも。すると、ある釣り具メーカーからルアーのテスターをやる話が舞い込んできたという。何がどうつながるかわからないから人生は面白いのだろう。
DIY初心者だったものの、カフェを半年かけてセルフリノベ
カフェを開く建物は決まったものの、力武さんが気に入った物件は10年近く空き家になっていて、かなり傷んでいた。配線はネズミにかじられて使い物にならず、床も腐っていたという。
「半年くらいかけて、コツコツとセルフビルドで内装をきれいにしていきました。民家として使われていたみたいですけど、最初は民宿をやろうとしていたみたいです。6畳の客間が4部屋並んでいて、それに母屋が付いているような間取り。築70年ほどの古民家です」
壁を取り払い、床を張り替え、一部は大工さんに手伝ってもらいながら改装を進めた。日曜大工もまったくやったことはなかったものの、「案外できるもんです。まぁ勢いですかね」と、力武さんは当時を振り返って笑う。
カフェを開いた平戸市の田平地区は、平戸島ではなく九州本土側の地区だ。Uターンで平戸市に戻ってきた力武さんだが、自身の出身は平戸島のほう。カフェの場所探しを始めたころは、平戸島の地元エリアで探していたが気に入る物件がなかった。
「平戸島にこだわることも検討したんですが、そこで初めて立地のことを真剣に考えた。地元でないならいっそ九州本土側の田平に出たほうがいいのかなと思って、この場所に決めました」
平戸市は、南北32km、東西の最大幅10kmもある平戸島を始め、他にも島があり、田平のように九州本土にも町がある。同じ平戸市内とはいえ、エリアごとに地域性が強いと言う。
「田平には特に縁はなかったですが、店のことで徐々に田平の人とも接するようになって、田平の人たちにはやりやすさを感じました。僕のことを知らないですし、しがらみがないというのがいいのかもしれません。なんとなくの印象ですが、田平の人は柔軟な感じがしますね」
平戸に移住して、収入や生活面はどう変化した?
「ざっくりいうと今の収入は東京時代の3分の1。おそらく今は東京のフリーターより全然少ないんじゃないかな。それでも、生活費はかからないというか、そもそも使う場所がないですね。家も店の奥に住んでいますし。生活面だけを考えれば十分やっていけます。ただ、プラスアルファで欲しいものとか、そういうのを考えれば不自由さはちょっとはあるかな」
独り身ということもあり、収入面で困ることはほとんどないという。また体調も東京時代よりいいと感じている。
「平戸に戻って魚を食べる機会が増えましたね。体の調子は東京にいた20代前半のころより間違いなくいいです。東京のときは仕事も忙しかったし、あまり寝ない生活をしていたので、調子がいい理由は食だけではないとは思うんですけど、やっぱり食は大事だと感じています。逆に言えば、こっちはジャンクなものがないので、たまには食べたいって思ってますけどね(笑)」
平戸の若い人たちが集まれる場所が作りたいとカフェを始めたわけだが、実際、お客さんはどのような人が集まっているのだろうか。
「アンテナを張って情報収集しているのはやっぱり都会の人で、始めのうちは福岡からとか、旅行で来る人がメインでした。地元の若い子は全然来なかった。1年半すぎたあたりからぼちぼち地元の子たちが来てくれるようになりました」
こういった動きは、ある程度、力武さんの狙いどおりでもある。田舎では、新規オープンというとチラシをポスティングしたりして、大々的に宣伝することが多い。力武さんはこれはしたくなかったと言う。
「オープンの告知はFacebookだけですね。あまり広告的なことはしたくないなと思ってました。なぜかというと、チラシを入れたりすれば、最初はすごくお客さんが来ますけど、その後、すぐにサーっと客足がひくイメージがあった。それは避けたいなと。続けていけば、そのうち広まるだろうと思って、あえて目立った宣伝は何もしませんでした」
力武さんの推測どおり、徐々に平戸でも認知されていき、いまは地元とそれ以外の人の割合は半々程度になっている。地元外では、長崎県内だと佐世保市、県外では佐賀県、福岡県からの旅行客が多いという。オープンから3年、「3rdBASEcafe」は若い人たちが交流する平戸のハブ的存在に一歩ずつ育ってきている。
【vol.3に続く】
平戸を元気にしたいとカフェを開き、音楽フェスを開催するなど、さまざまな取り組みにチャレンジしている力武さん。次回(vol.3)は、そういった町おこし活動にスポットを当てる。お楽しみに。
力武さんが開いたカフェ、長崎県の移住情報はこちらまで。
『3rdBASEcafe』
フェイスブック:https://www.facebook.com/thirdbasecafe/
ながさき移住ナビ
http://nagasaki-iju.jp/
力武さんの連載記事はこちら
【長崎県平戸市移住】釣り好きの青年が3.11を機に地元を盛り上げたいとUターン/vol.1
【長崎県平戸市移住】若者が集まるハブを目指して海沿いにカフェをオープン/vol.2
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キャンピングカーで移住先探しができるってよ in 長崎県 軽キャン大解剖!
【長崎県平戸市 移住ライフvol.1】きっかけはUターンしていた友人 旅行3日目で移住を決意
【長崎県平戸市 移住ライフvol.2】ガイドにわな猟、農業…収入半減も暮らしは豊かに
【長崎県平戸市 移住ライフvol.3】移住者は自分が変えなきゃと強く思いすぎないこと
【長崎県平戸市 移住ライフvol.4】本土と橋続きの平戸島はアウトドア好きの移住者にぴったり
text:george
【PROFILE/george】
茨城県東海村出身の32歳。インテリア雑誌、週刊誌、書籍、ムックの編集を経て、現在Webディレクター。4年前の朝霧ジャムに行って以来、アウトドアにハマる。テントはMSRのエリクサー3、タープはZEROGRAM。車を持っていないので、キャンプに行くときは知人の車に相乗りが常。なので、基本の装備は「軽くコンパクトに、友人の負担にならないこと」が信条